あなたがウイスキーを造るとしましょう。まずはじめに何をしましょうか? とりあえずまず始めに大麦を買いましょう。それを水に浸して発芽させ、根が出たところで焙って乾燥させ、 麦芽をつくります。それから砕いてお湯に溶かすと甘い麦汁ができます。濾過して、澄んだ麦汁だけを 取り出し、酵母を加え、発酵させます。これがウォッシュ(発酵終了もろみ)。発酵によって7%ほどの アルコールが生まれたこの液体を銅のヤカンで沸謄させてください。大事なことは湯気を逃さず銅の チュープで水中に導いて冷やすこと。湯気が液体に変わると、それがアルコール分20度ほどの酒精です。 それをもう一度ヤカンにかけ、同じことを繰り返すと、うまくいくとアルコール分60〜70度ほどの透明の酒 が得られます。これが生まれたてのウイスキー。次が少し厄介ですが、樽に詰めて貯蔵します。 樽はオークという木でつくったものに限ります。そして少なくとも3年は待ってください。 とてもおいしいウイスキーを飲もうと思ったら10年は待ってください。 20年待てば素晴らしいものが飲めるかも知れません。 |
酒の中にはワインなど自然状態でもつくられる酒 *1があり、その歴史は人類の歴史より古いと言えます。 しかし、ウイスキーという酒には蒸溜という高度な技術が必要です。そのため歴史も醸造酒と比べれば新し く、近代工業文明とともに発展しはじめます。ウイスキーはまず、産業革命期の英国で現在の洗練したスタ イルを築き、その後、世界工業の発展をリードしたアメリカで普及、さらには戦後、驚異的な経済技術立 国を果たした日本で新たな開花をみせました。 *1 糖分を持つ果実は条件が揃えば、人間が手を加えなくても自然酵母で発酵して酒になります。 サル酒というのがこれに当たります。病み付きになったサルの一種が、酔って革新的な行動を繰り返し 遂にはサルの域を越える生き物になった、それが我々の祖先だと密かに思っている人も多いそうです。 |
●ウイスキー以前のこと とはいえ、ウイスキーが蒸溜酒の雄として頭角を表すまでには、長い時間をかけての知的な蓄積が必要で した。蒸溜自体はすでに5600年前には始まっていたようです。証拠はメソポタミア北部のテペ・ガウラ遺跡. から出土した蒸溜器*2。降って紀元前7世紀の空冷式蒸溜器がエチオピア*3で発見されています。 ただし文献に現れるのは紀元前4世紀が最初。アリストテレスの「気象論」に、「海水は蒸溜によって飲め る水に変わる。ワインやその他の液体も同様である。液体は気化した後、再び液体に戻る」と記されていま す。いずれにしても蒸溜酒の系統的な歴史は定かではありません。他の科学技術と同様、中世の錬金術がそ の直接の起源となっていることは確かです。 *2 テペ・ガウラ遺跡から発掘された紀元前3500年頃の円錐形二重構造のカメで、香水用の蒸留器であろうと 推測されています。 *3 当時は古代アビシニア |
●いのちの水 ヨーロッパでは12世紀から13世紀にかけてアルコールの蒸溜についての記述が現れます。いずれも当時、 最高の知識人であった錬金術師たちの筆になるもので、その一人、フランスのアルノーは、初めてこの蒸溜 酒をラテン語でアクアヴィテAqua vitaeと呼んでいます。アクアは「水」、ヴィテは「いのち」つまり 「いのちの水」という意味です。実際、溶剤として抜群に優れていたエチルアルコールは、薬剤師たちが各種 の香草、薬草から有効成分を抽出することに用い、その抽出液はやがて「不老長寿の霊薬(エリクサー)」と 呼ばれるようになってもいました。蒸溜酒は、こうして薬として貴重な役割を果たすことで、ヨーロッパ全土へ 広がっていったのです。アクアヴィテについての記述は、ヨーロッパと時を同じくしてユーラシア大陸の西端、 大プリテン島*4にも残されています。地中海から北上した蒸溜技術は、ヨーロッパ各地に伝わり、人々は 地元特産の酸造酒で「いのちの水」を手に入れようとしたのに違いありません*5。プドウの実るところでは ワインから、それが無いところでも土地の果物から、あるいは大麦などの穀物を発酵させて。錬金術師が 文書でこのアクアヴィテのことを公にしはじめたのは、もはや秘密でも何でもなくなってしまったという時代 背景があったのかも知れません。 *4 Great Britain ドーヴァー海峡を挟んでヨーロッパと向かい合う英国のメインの島。面積は日本の本州と同じくらい。英国の 国名は正式に言うと「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(United Kingdom of GreatBritain andNorthern Ireland)となります。その本島のことです。 *5 たとえばフランス人はワインを蒸溜したアクアヴィテをオードヴィと呼んでいる。オランダ人は ウェイン(ワイン)を蒸溜して、これをブルントウェイン(焼いたワイン)と呼んだが、英語のブランデーは この言葉が語源。北欧では大麦やジャガイモなどの醸造酒を蒸溜した酒を原語を借用して今も アクアヴィットと呼んでいます。 |
●ゲール語「ウシュクベーハー」 ブリテン鳥に残るアクアヴィテの記録 ― ヨーロッパでもかなり初期の記録 ― の語に戻りましょう。 それは、1172年、アイルランドを侵攻したヘンリー2世の家臣の報告書の中にみられる記述です。「島民たち がわが国の酒よりも美味な酒を飲み、それをウシュクベーハーと呼んでいた」と記しています。おそらくは 穀物の蒸溜酒であろうこのウシュクベーハーは、「いのちの水」のラテン語を彼らゲール人の言葉に訳 したものでした。このウシュクベーハーこそが、ウイスキーの語源です。 アイルランドの人々は、この記録をウイスキーのアイルランド発祥説の根拠とし、当時の文化的先進地ア イルランドから移住したゲール人がスコットランドにウイスキーづくりをもたらしたという結論を導き出し ます。しかし、スコットランド人も負けてはいません。「ウイスキーを伝えたといわれる貴国の守護聖人パトリ ック*6は、実はわが大ブリテン島の出身だったよね」と茶々を入れ、ロマンと栄光にあふれたスコッチウイ スキーの歴史を語りはじめるというわけです。どちらが先かはすでに遠い歴史の深い霧の中。あまりこだ わらず、「いのちの水」はどのように歴史という川を流れて、世界の蒸溜酒という大河になったかをトレースしてみましょう。 *6 ブリテン島に生まれ4世紀半ばから5世紀にかけてアイルランド全土に布教したキリスト教伝道師。 初めて蒸留を伝えたなど多くの伝説がある。 |
●クランの団詰を支えた「いのちの水」 スコットランドは現在も100を超える蒸溜所を有するウイスキー王国です。いつからウイスキーづくりが 始まったのかわかりませんが、1495年には文書*7に初めてアクアヴィテ用の麦芽に関する記述 が出てくるので、それ以前から人々の間でつくられ、受け継がれてきたということが分かります。 スコットランドは、北海道くらいの大きさで、人口は英国全体の約1割、514万人ですが、イングランドに 対して対抗意識が強く、ポンド紙幣の図柄でさえ異なるものを使用。1999年よりスコットランド議会*8も開 かれます。アングロ・サクソン人の国イングランドとは文化の異なるケルト系のゲール人の国だからです。 今日のスコットランド人の祖先は血族意識が強く、共通の祖先から出たクラン(氏族共同体)単位で生活し ていました。クランは300ほどありましたが、各クラン独自に衣服の模様を定めていました。これがタータ ン・チェック。そして、クラン内部での団結心を日々確かめ、強めるものこそ、彼らが「ウシュクベーハー」*9 と呼んだ蒸溜酒でした。 *7 大英帝国大蔵省文書「アクアヴィテ製造のため修道僧ジョン・コールに8ボルの麦芽を支給した」 とある。8ボルは約500gで、1樽分のウイスキーができる量。 *8 1997年の住民投票で74.3%の賛成多数により、スコットランド議会を設置する事が決まる。 ウェールズは50.4%の賛成で同様の議会を設置。 *9 Uisge beatha 後にこのゲール語が「ウスケボUsquebaugh」を経て、「ウスキUsky」 そして今日の「ウイスキーWhiskyに」変ったとされています。 |
●密造の時代 1707年、スコットランドがイングランドに併合されると、誇り高きスコッツ(スコットランド人の白称) たちは、ロンドン政府に酒税*7を納めることを嫌って、山奥に蒸溜所を移し、密造に走りました。山の清例な 水は仕込みに理想的。手作りの小さな銅釜での蒸溜が幸いして、ウイスキーの品質は向上。しかも「無税」 のため値段は安く、町で人気の的*10となりました。夜陰にまぎれて密造ウイスキーを町へ運び、徴税官の目 を盗んで売る彼らはスマグラー(密輸人)と呼ばれました。もちろん見つかれば生命を失いかねない彼らでしたが、 反イングランドの意気に燃える掟破りの勇者として民衆に称えられ、スコットランドの国民詩人ロバート・バーンズ *11も「ウイスキーと自由はともに手をたずさえて進む」と謳っています。 ●熟成の発見 密造者たちは運悪く徴税官と出くわすと、あわてて洞穴などに輸送中の樽を隠して逃亡しました。 樽は放置され、やがて数年。誰かがこの樽のウイスキーを恐る恐る飲み、いつも飲む透明の粗い火酒との差に 気づきます。樽の酒は琥珀色に色づき、香り、味たるやなんとも芳醇なものに変っていました。密造者たち は醸造や蒸溜の技を洗練させただけでなく、樽貯蔵による熟成という技までも見つけ出した*12のでした。 *10 こうした密造酒は「Mountain dew」(山の露)と呼ばれました。 *11 スコットランドの国民詩人。1759年1月25日スコットランドの西南部エアシャーで貧しい農民の 子として生れる。農作業のかたわら、若くして詩を書き始め、近在の人々はこれを筆写して楽しんだ。 恋愛とウイスキーと詩を愛した熱血漢で、スコットランド方言で書いたその詩は今もスコットランド人 間で熱烈に愛されている。 *12 熟成の発見については異説があります。専用の酒庫を備えて、ヨーロッパ産のワインを常飲していた 領主や貴族が、樽熟成の効果に気づき、彼らがウイスキーの樽熟成を始めたという説である。 |
●プレンドという芸術 19世紀の英国は、世界に先駆けて産業革命の時代に入ります。革新的な事業を創出するアントルプル ヌール(起業家)があらゆる分野に輩出し、近代化を押し進めていきました。時代の風はウイスキー業界 にも及びます。 1823年、酒税法が改正され、密造が割りに合わなくなりました。政府認可を受けた合法的な蒸溜所が続々 と名乗りをあげ、密造時代が終焉を迎えます。また、技術革新の努力から、連続式蒸溜機が発明さ れ、トウモロコシなどに麦芽を加えたグレーンウイスキーが登場。ジョージ・バランタイン*13のような起業 家によって、モルトウイスキーとのブレンドが始まりました。彼らはラウド(声高)なモルトウイスキーとサイ レント(寡黙)なグレーンウイユキーとのブレンド技術を磨き、芸術の域にまで高めます。かくて荒々しく濃厚 なスコットランドの地酒に過ぎなかったウイスキーは、やわらかくて洗練された風味を獲得。やがてアメリカ をはじめ世界中の都市で愛飲されるインターナショナルな名酒へと発展したのです。 *13 1809年スコットランド生まれ。1827年、エジンバラに食料品店を開くことからスタートして、ブレンデット スコッチの名門バランタイン社に育てあげる。同社の創業者にして初代マスターブレンダー。 |
●アイリッシュウイスキー アイルランドは、アメリカに最も近いヨーロッパ西端の島国。高緯度ながら、暖流のせいで冬も平 均4〜8度と温かく、夏は平均14〜18度と冷涼。多湿な原野にシャムロック(シロツメグサ)などの緑が多 く、「エバーグリーンの島」と称えられています。しかし、その緑はヘンリー2世以来、大英帝国歴代 の王とその軍勢によって踏みにじられ、それでもなお、蘇生する不屈の緑。実に900年にもわたって大英帝国 の支配下にありながら、アイルランド人はイングランドに対抗し続けました。逆境におかれた彼らは、移民 となって新大陸でアメリカの建国を支える一方、常に独立を求めて本国でも戦い続け、1949年、ついに真の 独立を果たしています。そのウイスキーはスコットランドと同様の道を歩んでいます。ロンドン政府の徴税官の 目をかすめ、野山で蒸溜された酒はポッチーン*14と呼ばれ、人々の憂さ晴らしに欠かせない自由の酒として 愛されたのです。見方によってはスコッツよりさらに激越な彼らのウイスキーは、今日、3回蒸溜によるライトで マイルドな風味を特色にしていて、興味深いところです。蒸溜所の規模が大きく、ポットスチルが巨大なとこ ろもスコットランドの蒸溜所と好対照。アメリカのウイスキー事業の創始者にアイルランド出身者が圧倒的に 多いことから考えると、アイルランドのウイスキー文化の発展に対する貢献には、測り知れないものがあります。 |
ウイスキーを育てる樽について ウイスキーの貯蔵には、パンチョン、シェリー樽、ホッグスヘッド、バーレルという4種の樽が使われます。 形と大きさだけで分ければ、この4タイプが一般的ですが、さらに樽材の違い、チャー(樽内壁の焦がし)か ト一スト(焙煎)か、使用回数、シェリー回しの有無などで、同じ形の樽でも熟成ぶりはずいぶん異なってきます。 ●樽材とウイスキー サントリーでは北米産ホワイトオークからパンチョン樽をつくっています。使い込むうちに、気品のある素晴 らしい木香の熟成ウイスキーを育ててくれます。スペインのシェリー酒の貯蔵に用いた空き樽は、ウイスキー の貯蔵樽として早くから使われてきました。樽の内面に染み込んだシェリー酒がウイスキーに溶け込み、 赤みがかった色の甘美な芳香をもつモルトウイスキーを育んでくれます。 サントリーでは、日本産の水楢でつくった樽も使います。これはホワイトオークやヨーロピアンオークとは、 また、ひとつ異なった独自の香り、味をもつモルトウイスキーを育ててくれます。 樽の内面処理では、焼き方の強さで変化が出てきます。 こんがりとキツネ色になるまで焙るトースト。*1ならリグニンの影響がよく出た甘い香りの原酒を、樽の 内面を炭になるまで焦がすチャー*2なら華やかな木香の原酒をつくり、熟成に大きな影響を与えます。 ●樽の一生 ウイスキーの樽はバーボンを例外として、何回も貯蔵に用います。新しくつくって初めてウイスキーを貯蔵す る新樽は、木香が強く、熟成も速く、原酒は早い段階で樽出しして使います。 その空き樽を、貯蔵庫で樽の世語をする庫人は、「1空き」と呼び、2度めの貯蔵に用います。同様にして3 度めの貯蔵に使う樽を「2空き」、4度めの樽を「3空き」と呼んでいます。使い込むほと樽は練れて、木香が 上品になり、長期熟成モルトの熟成に用いられます。こうして4、5回ウイスキーを貯蔵するとさすがに樽材の 成分も枯れて、木香がとても穏やかになるため、その後はグレーンウイスキーの貯蔵や、後熟樽として用い られます。 *1 toast 遠火でじっくりと樽材内部まで加熱する方法で、リグニンが熱分解され、 ヴァニリンなどの甘い香りをもつ成分が生成される。 *2 char 直火で樽内壁の表面が炭になるまで焦がす方法で、炭化層は反応性に富み、 酸化反応などの熟成反応を促進する 樽の種類
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世界五大ウイスキーとその特徴
ウイスキー名 | ウイスキーのタイプ | 原料 | 蒸留法 | 製法と味わいの特徴 |
スコッチ (英国) |
モルト | ピーテッド麦芽・麦芽 | 単式蒸留器 2(3)度蒸留 |
麦芽乾燥の際にピートを焚くため 麦芽に煙の匂いがつき 製品に特有の スモーキーフレーバーをつける。 |
グレーン | トウモロコシ・麦芽 | 連続式蒸留器 | ||
アイリッシュ (アイルランド) |
麦芽・大麦・小麦他 | 単式蒸留器 3度蒸留 |
ピートを使用しないため、 スモーキーフレーバーがなく まろやかな風味と トロリとした舌触りをもつ。 |
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トウモロコシ・麦芽 | 連続式蒸留器 | |||
アメリカン (アメリカ) |
バーボン | トウモロコシ・麦芽 | 連続式蒸留器 | 内面を焦がした ホワイトオークの新樽で熟成。 特有の風味と 華やかな香りが特色。 |
テネシー | トウモロコシ・麦芽 | |||
ライ/コーン他 | ライ麦/トウモロコシ他 | |||
カナディアン (カナダ) |
トウモロコシ ライ麦・麦芽他 |
連続式蒸留器 | 穏やかな香りの フレーバリングウイスキーと クリーンに蒸留された ベースウイスキーをブレンドした 爽快な風味が特徴。 |
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ジャパニーズ (日本) |
モルト | ピーテッド麦芽・麦芽 | 単式蒸留器 2度蒸留 |
スモーキーフレーバーは スコッチに比べて控えめ。 穏やかな香味で、バランスがよく まろやかなコクに独自性がある。 |
グレーン | トウモロコシ・麦芽 | 連続式蒸留器 |
〜シングルモルトと蒸溜所〜 単一蒸溜所のモルトウイスキーだけを使って瓶詰 めしたウイスキーを、シングルモルトウイスキーと 言います。それぞれの蒸溜所の個性をしっくりと楽 しめるため、最近、とみに人気となってきました。
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BOWMORE ボウモア |
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スコットランド西南、アイラ島。その名Islayを島の人々はEye-Iahと発音します。1779年創設のボウモア 蒸溜所はかもめが舞う浜辺に位置し、貯蔵庫は波しぶきを浴びています。金色の屋根のキルンはダテではあり ません。昔ながらのフロアモルティングで麦芽をつくり、ピートを燃やして乾燥させます。発酵、蒸溜も急ぎませ ん。じっくりと時問をかける手の技が瀬りです。アイラモルトの魅カは海の香り。ピートにも潮風が しみこんで、海藻の匂いがします。潮風を呼吸しながら、5年、10年、15年 ― ピートの火、ピートの水 で仕込まれたボウモア・モルトは、アイラモルトの女王ともいうべき、洗練された、かぐわしいピート香を 放つ名酒へと磨かれていきます。ボウモア蒸溜所は、1995年、国際酒類コンペテイションでディスティラ ー・オブ・ザ・イヤーの栄誉に輝きました。 |
LAPHROAIG ラフロイグ |
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Laphroaig ― 名前は難しくても、香りは一度で覚えてしまいます。時にマーラーの交響曲にたとえられる 濃密なピート香。アイラ島の海藻の匂い。ヨードやクレゾールを想わせる香り。これは、好きになるか、嫌い になるか、どちらかしかありません。それほど強烈な個性で際立つラフロイグは、まさにアイラ・モルトの王者。 創設は1815年。黒ずんだキルンからは、黒煙があがり海風に渦巻いています。製麦だけでなくピートも自前。 自家採掘場のピートを砕いて、煙がよく立つように、その粉を炎にかけながら乾燥しています。ラフロイグは、 かくて濃密な煙から生まれるのです。手づくりピーテッド麦芽を粉砕して、アイラ特有のピートが溶けた褐色の 水で仕込み、発酵させ.蒸溜します。昔どおりは、どの工程でも変わりません。島の伝統は健在です。蒸溜室 ではスチルマンの微妙なコントロールによって、2度、蒸溜が繰り返されています。再溜液のうち始めと終りの 部分はカットされ、真ん中の香味の良い部分だけがラフロイグヘの道を進みます。樽のラフロイグは波しぶきを 浴びる浜辺の貯蔵庫で眠り、磯の香りを呼吸しながら長い長い熟成への旅を続けていくのです。 |
SCAPA スキャパ |
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スキャパ蒸溜所は、大ブリテン島の北、オークニー諸島に位置するスコッ.トランド最北の蒸溜所の一つです。 ピートが香る仕込み水。独特なローモンド型の初溜釜。スキャパの蒸溜マンは、昔と変わらぬやり方で、 ピート香のする麦汁をつくって醸し、ずんぐりとした釜でじっくりと、蒸溜しています。貯蔵にはバーボン樽を 使用。やがて樽のモルトは、かすかにヒースの香りや潮風の匂いが走る熟成に達します。 |
THE・MACALLAN ザ・マッカラン |
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ザ・マッカラン蒸溜所は、ハイランドで2番目の政府登録蒸溜所として1824年に発足。ほとんどの利き酒 コンテストでNO.1となり、ハロッズの『ウイスキー読本』では「シングルモルトのロールスロイス」とまで讃 えられている現代シングルモルトの最高峰、ザ・マッカラン。その名酒を生み出す秘密は、原料大麦の品種、 ポットスチルの型と大きさ、そして貯蔵樽の種類の3点で、並はずれた贅沢を守り抜いていることにあります。 大麦は最高品種ゴールデンプロミス種しか使いません。ポットスチルはスペイサイド最小の直火釜。手間も 暇もかかります。そして最大の特徴は、オール・シェリー樽貯蔵。赤味の強い琥珀色や甘美でデリシャスな 芳香は、このシェリーがたっぷり染みた贅沢な樽からの贈り物。こうした贅沢があって最高の品質は結晶し、 世界中のウイスキー通の心を魅了しているのです。 |
MILTONDUFF ミルトンダフ |
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蒸溜所は、ブレンデッドスコッチの名門Gバランタイン杜の中核をなす由緒ある蒸溜所。その気品あるモルト ウイスキーは、ブレンダーが欲しがる12大モルトの一つとして数々のスコッチウイスキーの風味の決め手と なっています。貯蔵樽もクリーンであることを求め、良質なホワイトオーク樽でも2回しか使用しません。 |
GLENDRONACH グレンドロナック |
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スペイ川の東30キロ。蒸溜所は小さな清流をまたいで立っています。小川の名「ドロナックDronac(黒い ちごの意)」にちなんで、蒸溜所は「ザ・グレンドロナック」と呼ばれてきました。蒸溜所の創設は1826年。 古色蒼然とした石造りの蒸溜所では、熟練の職人たちが、フロア式の麦芽づくりに勤しんでいます。キルン でのピート乾燥。敷地内の湧水による仕込み。木桶での発酵。石炭による直火蒸溜―すべてが、昔のまま。 貯蔵には、シェリー樽とホワイトオーク樽を併用。どちらの樽も、貯蔵庫の土間に3段積みで貯蔵され、幾歳 月を眠ります。これもまた、伝統的な貯蔵法です。伝統を口にしながらも近代化を進めた蒸溜所が多いなか で、この蒸溜所は、ウイスキーづくりの古い姿を最もよく残しているといえるでしょう。現在、ティーチャーズ& サン社のメイン原酒はここでつくられています。 |
TORMORE トーモア |
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創設は1957年。20世紀に入って最初に開設された勇気ある蒸溜所として、業界の賛辞を独占し、期待に 違わぬ成果をあげています。蒸溜所建物の設計は有名な建築家で王立美術院長もつとめた故サー・A・リ チャードソン。山奥の清流のほとりの優美な蒸溜所から軽やかで甘美なトーモア・モルトは生まれます。 |
AUCHENTOSHAN オーヘントッシャン |
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ローランドの伝統製法3回蒸溜を守る数少ない名門オーヘントッシャン蒸溜所。その名はゲール語のオーヒ ャドゥ・オッシン(野原の片隅)からきたものです。仕込み水として蒸溜所の北、ココノ湖の水を使用しています。 面白いことに水源はハイランド側にあり、この点でもユニーク。ピート香の軽い麦芽を厳選して、銅製の糖化槽 で仕込み、発酵は昔ながらの木桶発酵槽で行っています。3回蒸溜のモルトは、何故か熟成が速いことで 知られています。オーヘントッシャン蒸留所のモルトなら、5年もすれば十分まろやかに熟成し、シングルモル トとして味わえるほどです。さらに寝かせれば、その香りは十二分に深まり、素晴らしい開花をみせるのです。 そのマイルドな香味は、シングルモルトウイスキーの通から入門者にまで、高く評価され、このところ人気を急 速に高めています。 |
スコッチウイスキーとは | ||
スコッチウイスキー法によると、スコッチウイスキーとは「スコットランドの蒸溜所で水と発芽大麦および穀類を 使って、麦芽の酵素で糖化し、酵母で発酵させ、アノレコール分94.8度以下で蒸溜し、700L以下の樽で 最低3年問貯蔵したもの」となります。タイプとしては、大麦麦芽だけを原料として醸し、単式の銅製ポットス チルで蒸溜したモルトウイスキーと、トウモロコシを主原料としこれを大麦麦芽で糖化させ、連続式蒸溜機で 蒸溜したグレーンウイスキーとがあります。通常のスコッチウイスキーといえば、このモルトウイスキーとグレ ーンウイスキーをブレンドした、ブレンデットウイスキーで、生産量のほぼ95%を占めています。残りの5% ほどが、シングルモルトウイスキーです。なお、スコットランドにはモルトウイスキーの蒸溜所が100近く、グ レーンウイスキーの蒸溜所が10近くあります。スコッチメーカーは、これらの蒸溜所から好みのウイスキーを 買い集め、独自のレシピによってプレンドし、自社プランドの製品としています。これに対してシングルモルト スコッチは、蒸留所が独自に瓶詰めした製品で、ほかに各蒸留所のモルトを樽で買い集め、小規模ロットで 瓶詰めしているメーカーが数社あります。 |
GEORGE BALLANTINE & SON G・バランタイン&サン社 |
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1827年、ジョージ・バランタインが創業。ブレンドが始まった1850年代にいち早くその良さを見抜き、ブレ ンデッドスコッチの発展を担ってきました。従って伝統的にブレンド技術をたいへん重視し、ブレンデッドス コッチの名門として業界でも高く評価されています。モルト原酒をたくさん使って、しかも抜群に調和のとれ た気品あるテイストを実現した製品は、日本人の繊細な感性にもぴったり。自社でミルトンダフ、スキャパ はじめ10の蒸溜所を所有するなど、モルト原酒の充実に積極的でなければ、幻の名酒「30年」や「ザ・ス コッチ」と称される「17年」といった高い品質を維持することはできません。 |
アイリッシュウイスキーの特徴 | ||
1725年の麦芽税の影響を小さくするためアイルランドでは麦芽を少し使うほかは未発芽大麦やライ麦、 小麦を使ってのウイスキーづくりが行われました。それが今日のアイリッシュウイスキーの特徴となって います。また、麦芽乾燥には豊富な石炭が使用できたため、ピートを焚く必要がなく、いまもノン・ピー テッド麦芽を使用。そのためスコッチにみられるスモーキーフレーバーはありません。さらに、3回蒸溜で 85度ほどの蒸溜液を採取するため、ウイスキーはアルコール以外の副成分が少ない軽やかな酒にな ります。 |
MIDLETON ミドルトン蒸留所 |
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アイルランド第2の大都市コークに位置し、1825年以来の伝統をもつ蒸溜所。75KL入りという世界でも 最も巨大なポットスチルをもち、アイリッシュ・ディスティラーズ社の主工場となっています。1984年以来、 年に1度・最良の50樽を厳選し、「ミドルトン・ベリーレア」の名で発売。数量1万〜1万2千本の限定版。 |
Tullamore
Dew タラモアデュー蒸留所 |
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タラモアは、アイルランド中央部オッファリー州の州都の名前。1829年、創業者マイケル・モーリーがこの 古都で蒸溜所を創業したのがタラモアデューの起源です。しかし、発売当初のブランド名<タラモア>にDEW をつけたのは、創業者モーリーをついだウィリァム・E・ダニエルで、自らの頭文字を加えたもの。3回蒸溜 による軽快なウイスキーで定評があります。 |
バーボンウイスキーとは | ||
アメリカの連邦アルコール法によるとバーボンとは「@原料穀物の51%以上がトウモロコシであり、 Aアルコール度数80度以下で蒸溜し、B熟成に内側を焦がした新しいホワイトオークの樽を用いて、 C水以外のものを加えず、アルコール分40度以上で瓶詰めしたもの」と定義されています。バーボン とは、ケンタッキー州の郡の名前ですが、その昔、この地方がウイスキーづくりの名産地だったため、 ウイスキーの代名詞となったもの。いまは、この州は酒類の製造も販売も認められていない「ドライ・ カウンティー」となっていて、工場は一つもありません。 |
テネシーウイスキーとは | ||
アメリカの連邦アルコール法ではバーボンに入るウイスキーのうち、テネシー州で作られていること、 蒸溜直後に砂糖楓の炭で時間をかけてろ過してから貯蔵することの2つの要件を満たしたウイスキ ーを、特にテネシーウイスキーと呼ぶことが許されています。バーボンより、まろやかで滑らかなウイ スキーが生まれます。 |
Brown-Forman ブラウンフォーマン社 |
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創業者ジェームズ・ブラウンの先祖は、スコットランドからの移民で、ヴァージニアに定住。祖父ウイリアム は西部開拓時代の英雄ダニェル・ブーンとともにケンタッキー州に入りました。産業革命が進む新時代の 子、ジェームズは1870年、米国で初めて密栓をしたバーボン「オールドフォレスター」を発売し、酒類業 界に参入します。当時、樽からの量り売りの時代で水増しなどの悪質商法が横行していました。品質第 一の姿勢は高く評価され、このときラベルに記した「市場にこれ以上の品はなし」の手書き文字は今も 変わりません。代々のブラウン家が経営するプラウンフォーマン社の姿勢は古き佳き伝統を大切に守る こと。1860年以来の歴史を誇るバーボンの名ブランド「アーリータイムズ」、1866年以来の伝統をもつ テネシーウイスキーの美酒「ジャックダニエル」をもつアメリカ屈指の名門酒類企業として、堅実な経営を 続けています。 |
JACK DANIEL’S ジャックダニエル蒸留所 |
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一滴一滴を砂糖楓の炭で「チャコールメロウイング」してから貯蔵するテネシーウイスキーの名門。 ジャックダニエルが創業した1866年以来、頑固にこのテネシー製法を守り、高い信頼を集めてい ます。仕込み水は、蒸溜所内の洞穴から湧くライムストーンウォーター。水質も年間13.5度の水温 も製法と同様、昔のままです。 |
カナディアンウイスキーとは | ||
カナディアンウイスキーは法律で「穀物を原料に、酵母により発酵し、カナダで蒸溜し、最低3年間、 樽で貯蔵させたもの」と定義されています。原料穀物は、一般にトウモロコシ、ライ麦、大麦麦芽など。 ライ麦主体の香り高いフレーバリングウイスキーと、グレーンウイスキーに似たべースウイスキーを プレンドして、つくります。フレーバリングウイスキーは、単式蒸溜釜または、一塔式の連続式蒸溜 器を使用。べースウイスキーは、トウモロコシに少量の大麦麦芽を加えて近代的な3塔式以上の連 続式蒸溜機で蒸溜したものです。 |
HIRAM WALKER’S ハイラムウォーカー社 |
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合衆国のデトロイト対岸ウォーカーヴィルでハイラム・ウォーカーが蒸溜所を開いたのは、1856年の ことでした。当時ウイスキーは樽で売られ、デキャンターで供されていましたが、彼は自分のウイスキ ーをボトルに封じ、製造元保証のラベルを付けて売り出したのです。やがて最高のものだけが評価 されるジェントルマンズ・クラブで「ウォーカーのウイスキーでなければ」と言われる高い評価を確立し ました。1882年、このクラブ・ウイスキーをアメリカに初輸出。1890年代にはたいへんな人気となっ たため、合衆国政府は他のウイスキーと区別するため、法を制定。このときから彼のウイスキーは「カ ナディアン・クラブ」といろ名前となりました。ライ麦や小麦を使ってじっくりと蒸溜時間をかけ、雑味の 少ないマスターウイスキーをつくり、これにライトなグレーンをプレンドした「カナディアンクラブ」の成功 で、カナダ独自のウイスキーのスタイルが確立し、以後、「C.C.」はカナディアンウイスキーの代名詞 となっています。 |
ウイスキー関連リンク集
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